お能について思うこと

私は、13年間ほど東京の青山にある能楽堂に通い、お能の稽古をしていました。お能を習い始めたきっかけは、実家の近くに能面打ちをされている方がいて、父親と懇意にしていたため、私もその方の家を訪れて能面を若い頃から見ていたことが影響しています。その後NHKの教育テレビでお能の番組を見るようになり、たまたま私が住んでいる家の近くの自然公園で沼地に能舞台を作り、そこで初めて薪能を見て、幽玄な世界に感動して、その時に演目のシテ方を演じていらっしゃた能楽師の先生に連絡を入れて、先生が活動の拠点にしていた青山能楽堂に月に3回稽古に通うようになりました。

稽古の初めは、誰でも習う「鶴亀」から謡いの節を覚え、そのあとに仕舞の稽古をします。謡いは先生が最初に一節を謡い、それに続いて私が謡う形で行いました。仕舞いも同様です。

13年間の稽古の感想は厳しかったの一言です。本来稽古事は厳しいのは当たりまえですが、お能の稽古は、一切の妥協は許されず、先生の謡いと仕舞いが同じようにできるまで何回も繰り返して行います。謡いの一節ができるまで何回もやり直しをさせられます。月3回青山に通うことが、本当に憂鬱で辛かったことが思い出されます。
それならやめれば良いと思うでしょうが、13年間続けられたたのは、お能の世界に強く惹かれるものがあったからです。年に2回、先生のお弟子さんが能舞台で発表会を行います。私も日頃の稽古の成果を能舞台の上で発表しました。出番前の緊張感は相当なものでした。入場は無料ですが先生がいろいろなところにお知らせをしているので観客は数十人の方は来ていました。

役者が公演のときに舞台裏で自分の出番を待つ緊張感が私には理解できました。いざ舞台に上がると、なんとも言えない心地良さがあり、終わったあとの爽快感は格別なものがありました。役者さんが舞台に一度上がると病みつきになるのはわかるような気がします。ただ、舞台に上がるまでは相当厳しい稽古が必要です。

お能伝統芸能と言われ、京都で観阿弥世阿弥親子が室町時代に今の様式に作り上げましたが、それ以前にも猿楽として大和で演じられていて、そのルーツを辿ると日本の芸能の原型が見出されます。能にして能にあらずと言われる「翁」は舞われている姿を見ているとなんとも形容できない感動が呼び起こされます。

今週、奈良の斑鳩の里を訪れましたが、龍田神社に石碑があり、今の能楽5流派のひとつである金剛流が大和猿楽坂戸座の流れをくむことが書かれていて、とても興味深いものがありました。


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次回から、もう少しお能の話を書きたいと思います。