活け花「未生流」


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京都で、月1回のペースで活け花を習っています。

活け花を習う動機は、京都在住の作家澤田ふじ子さんが書かれた活け花三部作のひとつ「天涯の花 小説未生庵一甫」を読んで、未生流の活け花を習おうと思ったからです。

京都には、ご存知のように六角通りにある建物を本拠地とする「池ノ坊」という全国的な流派がありますが、私は大阪・京都を活動の場とする未生流を選びました。未生流は江戸時代にお武家だった一甫が、波乱の人生を送りながら自分で切り開いた活け方を関西で広めた流派です。

毎月1回、先生のご自宅にお邪魔をして、先生が用意された花材を使ってお稽古をしています。ここでは、未生流の生け方の説明は省きますが、いつも先生と一緒に3時間ぐらいをかけて稽古をします。お花を活けている時間、花たちと向き合っている時間は、私にとって至福の時間と言えます。もちろん、どんな習い事も上達するためには苦労がありますが、それを差し引いてもわたしには充実した時間と言えます。

先生は京都の女性で、稽古のために京都にある花市場で花材を仕入れて、その花材の説明を受けてから、今日の生け方を相談してながら決めて、まず私が活けてから先生の手直しが入ります。時に私の原型が留まっていないいないような手直しもありますが、先生は私のオリジナリティを尊重して手直しをしていただきます。

先生と稽古を始めて5年目を迎えていますが、まだまだ先生の領域には到底手が届いていません。お花の世界は日々の稽古も大切ですが、やはりその人が持っている感性や美意識にも影響されます。未生流ではお花を行ける時に「虚実等分」ということを大切にします。これは、花を自然のままに花器に活けるのではなく、花にも余分な葉があればそれを切り、不自然な曲がりの枝は矯めることで、花が持っている本来の美しい姿に整えることを言います。先生は、よく「お花を手に取り眺めているとお花の方からこういう風に活けて欲しいというお花の声が聴こえてくるので、その声が聞こえるようになりなさい」とおっしゃいます。まだまだ、私にはお花の望んでいる声は聞こえませんが、一日も早くお花の声が聞こえるように日々精進したいと思っています。