瀬戸内寂聴さん追悼
瀬戸内寂聴さんがお亡くなりになりました。
私は寂聴さんの熱心な読者ではありませんでしたが、昔お能を観世流のシテ方の先生に
習っていたことがあり、その関係で寂聴さんが世阿弥について書かれた「秘花」やお釈迦様の一生を書かれた「釈迦」は読んだことがあり、失礼な言い方かもしれませんが、
とても筆力がおありになる作家だと思っていました。
私は、何年も「源氏物語」を原文で読んでいますが、寂聴さんの現代語訳も巻十まで持っています。ときどき、難解な文章に出会った時は寂聴さんの現代語訳の本に助けていただいています。
「源氏物語」の現代語訳は谷崎潤一郎や与謝野晶子などは多少読んでいますが、寂聴さんの現代語訳の方が原文に忠実であり、しかも今風に的確に訳されており、とても感心するときがあります。
うまく言えませんが、寂聴さんの文体には人としての温かみや優しさが感じられます。
そうは言っても、私は近代文学の作家を愛読していた時期があり、埴谷雄髙さんとの対談を読んだ時に、埴谷さんと恋愛について話された内容により、寂聴さんがどういう体験を過ごされたかはある程度は知っていました。世の中から非難されていた苦しい時期もおありになったと推察します。
私は4年前から京都の嵯峨嵐山に住んでいますが、奥嵯峨野を散歩している時に寂聴さんがお住まいの寂庵の前を通ることがあり、ときどきタクシーに乗られる寂聴さんを偶然見かけたことがあります。
今年の8月に五山送り火がありましたが、最後に点火される「鳥居」が寂庵の近くによく見える場所があり、そこで私も毎年見ていますが、今年は、もしかしたら寂聴さんが見にいらっしゃているかと期待していましたが、そのときは京都市内の病院に入院されていたのかもしれません。
これからも、寂庵の前を散歩で通りますが、寂聴さんはこの世にはいらっしゃらないのかと思うと残念でなりません。
寂聴さんのご冥福をお祈りいたします。
(合掌)